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マイハウスの日常

今川義元とやら

2011.07.25 2016年7月までの日記

こんばんは未来です:mrgreen:
昨日今川義元に関する記事をみました。
もっと知りたくなったので色々調べてみました。
義元と言えば桶狭間の戦いで2万5千の大軍で挑みながら隙を突かれ負けた「愚将」で有名。
>現在に直すとアメリカ軍が進攻先のイラクにボッコボコにされ、逆に北米へ攻め込まれるレベルの大事件である。
らしいです:lol:
以下コピペ
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今川義元は十分に名将と言うべきでしょう。
学問の師(兄弟子)である雪斎を参謀として家督争いを勝ち抜いて今川家の当主となった時、今川の所領は駿河と遠江の2カ国でした。家督相続後、武田家・北条家と同盟し、かつ北条氏が占拠していた駿河の富士川以東部分(河東)を今川領に戻しました。
義元の代で三河を完全に所領化し、尾張も3分の1程度を所領化していました。家督相続後に今川家の所領を2倍以上にしたと言えます。尾張での勢力圏をさらに広げようと出兵した所を織田信長に討たれました。
今川義元が討ち死にした時の状況は、「史実の三方ヶ原の合戦の時期に、徳川家康が、遠江に侵入した武田信玄を討ち取った」に等しい「奇跡の勝利」です。義元は、味方の城の後方の「安全な地域」に陣を張っている所を、予期せぬ織田軍の攻撃に本陣を破られて討ち死にしました。
「義元は十分に名将といえるが、信長は世界の戦史上も稀な『超名将』であった」ということです。
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ちなみに「東海一の弓取り」と言われるぐらいすごい人物だったとか。
越前の朝倉宗滴は、『朝倉宗滴話記』という本の中で、
「国を持ち、家臣を使っている人物で、よき手本となる人物は、
今川義元・武田信玄・織田信長・三好長慶・長尾景虎・毛利元就・正木時綱だ」と述べています。
このメンツの中に入ってるだけですごい!
いや~調べてみないとわからいものですね。
織田信長に負けていなければどうなったことでしょう:star1.0:
もしかしたら上洛していたかも知れません。
「if」を考えられる歴史って楽しいですよね:-o
語ってしまいました:hahaha:ww
それでは:sun1: